医師になって34年が過ぎました。
九州大学で医学部教育を受けて、整形外科医として大学病院や総合病院での研修期間を終えて、福岡県北九州市の総合病院に就職して現代西洋医学の概念、治療法に則って患者さんと日々向き合ってきました。
外来では注射と投薬、入院して手術、という流れの中で20年以上臨床経験を積んできた結果、多くの患者さんが高齢化とともに薬が増え、かといって症状がよくなるわけでもなく何年も病院通いが続き、痛みが取れないどころか徐々に体が不自由になっていく、という現実を多く目の当たりにしてきました。
また多くの患者さんが、内科疾患の薬(高血圧や糖尿病)、精神薬(睡眠剤や抗うつ薬)など、複数の科にかかってはたくさんの薬を飲んでいるという現実があります。「薬は一生飲まないといけません」と医師に言われた、ということも多く耳にしてきました。
勿論、整形外科では急性の怪我や感染症、などに現代西洋医学の治療は欠かせないものであり、骨折などは手術によって素晴らしい成果を上げています。整形以外では、心臓発作や脳血管障害(出血や梗塞)、イレウスや腹腔内の急変、出産時の緊急処置、など、急性期・緊急時においてはやはり現代医療は絶対必要であり、多くの命を救ってきました。
しかし、手術には危険も伴うため(命に関わる合併症もある)、本当に必要な急性期の病態以外ではなるべく手術以外の方法が選択されるべきと考えます。
薬も同じように、もともと自然界にはない化学合成物質を長く身体に入れていては、自然物そのものである身体には有害物質として溜まっていきます。
薬もまた、絶対必要なときに最低限の量と期間で使われるべきものと考えます。少なくとも慢性疾患においては薬は不要です。(病院を訪れる患者さんの9割は慢性疾患の方たちです。)
現代医学がなぜこうも薬に頼った医療になっているのか?
一つには、身体を細分化して見る傾向が強く、臓器別であったりとか、痛い部位のみしか見ていない、とか、「病の本当の原因」にアプローチできていないところが大きいと考えます。人を全体として見る、身体の繋がりから見る、といった医療本来のアプローチを今は医師が知らない(医学部教育にない)のです。従って、本質的な治療法が少なく、対症療法としての薬が多用されています。
もう一つには、製薬会社の利権が大きく、現代のほとんどの診療マニュアルが製薬会社(+医学会)主導で作られているため、治療法が薬最優先となってしまうのです。
私も若い頃は、医師としての関心は手術が主であったので、外来通院での投薬には全く気を使うこともなく、製薬会社や先輩医師から言われるままに薬を出していました。(それが身体にどれだけ負担になるか、など知る由もなかったし、誰も教えてもくれなかったのです。)
しかし、上述したように、手術や薬で人がどんどん元気になって健康な人が増えていけば何の問題もないのですが、現場にいるとむしろ患者さんは減るどころか増えていくばかり、という現実があるのでした。日本全国、統計で見ても、年々医療費は跳ね上がり薬も開発されているのに、病人の数も癌で亡くなる人も増える一方です。普通に考えても、明らかにおかしいことがまかり通っているのです。
また同時に、現代医学界の構造や、この世の中の構造なども知ることとなりました。テレビや新聞で流されるニュース、情報がいかに人工的で意図的で、私たち一般人を支配洗脳しているかということも、実態、実感として知ることができました。
こうして臨床経験を20数年費やして、ようやく私も上述したようなことに気づき、既存の概念に縛られることなく、「本当に人を元気に、幸せにできる医療は何なのか?」を追究するようになりました。
そして、明らかにおかしい今の世の中で、一体今から何をすればよいのか。
医師として、人として、これからの人生をどう生き抜けばいいのか。
私は何をするためにこの世に生まれてきたのか?
何を成し遂げれば後悔なく死ねるのか?
実はこの部分が最も大事なところで、病気や痛みで困っている人も、この「命題(=命の宿題)」、即ち、この人生の本当の目的、病気が治った後に何をするのか、という目標が定まってなければ、身体が治る意味がないのです。
人生の目的、天命志命。 これが武学で言うところの「志」です。
「志」が定まってなければ、日々の生活も軸がなく色々なものに流されていきます。病気が治ってもまた別の病気を引き寄せます。痛みが取れてもまた別の痛みが出てきます。交通事故に遭う人は何回も遭います。
なぜか?
私も長い医師人生で気がつきました。
「人は気づくために病になるのだ」と。
病気とは、「病から気づく
ことだったのです。
逆に、志が定まっていて、生き方に迷いがなく、行動実践が伴っていれば病気になる必要もないので、病にはなりません。
「人は本来(の生き方をすれば)、病にはならないのだ」と。
ただ、その本来の自身から遠ざかると、即ち、「志」に沿って実践行動できていない自分でいると、「気づく」ために病気や痛み、何らかの試練がやって来るのです。
もちろん、身体(肉体)に対して感謝を忘れて無茶なことをすれば、身体は不具合を起こします。暴飲暴食や不眠不休での活動などは当然身体に無理をかけます。身体が喜ばないもの(添加物や農薬にまみれた食べ物、化学物質だらけの洗剤やシャンプー、化学合成繊維の衣類、汚染された空気、電磁波、など)をいつも体内に入れたりつけていては当然自然物である身体は害されていきます。
「志」を全うするための大切な実体としての身体(肉体)をないがしろにしてはいけません。まずは肉体的に、生活習慣や食、環境、などを見直す必要もあるでしょう。天城流で最重要とされる「咀嚼」は絶対に必要です。
そして、武学の2本柱である「志」と「禮」で、人生の目的と心身のニュートラル化(ゼロ化)をしっかりと日々実践行動することが必要となってくるのです。
私が目指すこれからの医療は、身体から全ての答え、叡智を引き出す「オーダーメイド医療
です。
実は私たち一人ひとりの身体は、この地球上での生物誕生以来の38億年、一度も途絶えることなく引き継がれてきた生命の記憶、叡智をDNAに受け継がれてきています。
身体が何でも知っており、身体こそが「宇宙の全情報」です。
宇宙の全情報が神だとすれば、人は皆、神です。
(これは宗教でも何でもなく、身体ワークをすれば誰でも同じ答えが身体から引き出されます。そこに概念や宗教や哲学などは一切要りません。)
医療においても、
「自分の身体は自分で治す」ことが誰でもできること、
そして治し方は「その人自身の身体が知っている」こと、
この2つの真理を最大限に生かしていくことで、全ての病も痛みも開放できることを知るに至りました。
そのための最強の身体のツール、システムが「天城流」であり「武学」なのです。
医師としての私自身も、常にニュートラルな状態(ゼロ化)で人とのぶつかりのない世界を体現しながら、目の前の困っている人が自分自身で解決できる方法をその人自身から引き出すことができるようにお手伝いしたいと思います。これこそが私が目指す、これからの真の医療=「自律医療」だと確信しています。
人は肉体、精神、魂の三位一体の存在です。
その全てにおいて健全な状態が真の健康な状態と言えます。
肉体にとって必要なこと(食、咀嚼、腸内環境、生活環境、身体・足の調整など)
精神面での安定(禮法でゼロ化して、心穏やかなぶつかりのない状態でいる)
魂の健康(天命・志命、即ち志が明確であり、志そのもので生きていること)
この3つをバランスよく保っている状態こそが、病気にならない、完全に自律した状態であると言えます。
「天城流」と「武学」という、身体の叡智を引き出す奥義・秘伝に出会えたこと、またこれを自律医療、これからの医療として世界に広めていけることを心から感謝いたします。
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